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● 巻頭言

素人の時代

古谷可由(公益財団法人ひろしま美術館 学芸部長)

世の中、素人の時代真っ盛りである。美術館でいうと、誰でもが理解できる分かりやすい展示、誰でもが気軽に訪れることができる雰囲気が求められている。大学でも、分からないのは学生の姿勢・能力に問題があるのではなく、先生方の教え方が悪いとされると聞く。先生は、学生の能力にまで下りていって授業をしなければならない。新聞も同じである。読者に分からない(であろうと新聞記者が想定している)事象は、分かるように書かなくてはならない。知りたいと思う読者の好奇心を満足させるためではなく、最低限理解できる内容を提示すればよいような紙面づくりがなされている(と思う)。いずれも、対象は「一般の人」である。美術館でいえば美術の専門家・愛好者ではない人。大学でいえば、研究者あるいは研究者をめざしてはいない人。新聞でいえば、深く知りたい訳ではなく情報としての知識を得たいと思っている人たちのことであろう。いつの間にか、美術館も、大学も、新聞も、「専門的な人」ではなく、「一般の人」、つまり「素人」を対象にするようになった。

もちろん、そのこと自体が悪いというつもりはない。「専門的に学びたい人」は、自分でより突き詰めればいいだけで、美術館はまずはその入口となるべきであるということであろう。大学も、新聞もその意味では、まずは素人を対象にしたものであって、興味を持たせることが先決というのであろう。ただ、入り口の施設、つまり素人を対象として基本的なことを提示しようとすれば、必然としてどれも同じような内容の提示が多くなる。もともと、「一般的な人」の嗜好を基準にすると、どの美術館も、どの大学も、どの新聞も、同じ方向を向くことになる。結果、ほかの施設と比べて特徴も魅力もないものになってしまう。

また、自分のことを想うと、分かりやすい世界、すぐに理解できる世界とは、実はあまり面白くなくはなかったか。多少難解な方が、分からない、納得できないものが残る方が、結果として魅力的ではなかったか。難しい問題・事象が分かるようになったときの方が喜びが大きくはなかったか。

美術館の世界では、「一般の人」に分かるようにと言われるとともに、「子どもにもわかるように」と言われる。次世代を担う子どもたちに美術の世界に馴染んでほしいとの思いからだろう。これも、決して反対するわけではないが、私が子供の頃(たしかに偏屈者だったから基準にはならないかもしれないが)は、大人の世界、子どもには分からないがなんだか魅力的な世界、あるいは子どもは触れていけない世界、入っていってはいけない世界。そう言った世界だからこそ魅力的に映ったものである。子どもたちにとっても、美術館とか、大学(知の世界)とか、新聞(情報の世界)とかは、少しぐらい難しく、意味不明なことがあり、また納得できないことがあるぐらいの方が魅力的なこともあるのではないか。それを理解しようと思う、理解したいと思うところに、知的好奇心が芽生えるのではないか。なんだか背伸びをしてでも覗いてみたくなるような世界、そういう大人の世界があってもいいのではないか。

これは、あくまで私の個人的な意見であって、私の勤める美術館がそういう方針でやっているというわけではない。もちろん、「子ども」を対象にした、あるいは「一般の人」を対象にした美術館もあっていいと思う。ただ、すべての美術館が、「子ども」や「一般の人」を対象にした美術館である必要はないのである。最近、そんなことを切に感じながら、あいかわらず美術館で働いている。

 

 

● 第120回例会報告

第120回例会は、2017年9月30日と10月1日の二日にわたりJMSアステールプラザ大ホールにて開催されたひろしまオペラルネッサンスの公演を例会に指定するかたちで開催された。それに際し、芸術学会会員向けの公演チケットの割引制度が設けられ、二日目の終演後には、感想交換会が開催された。

 今回上演されたのは、モーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ──恋人たちの学校》(KV588)である。台本作家ダ・ポンテとの最後の共作となったこの作品は、18世紀末の同時代を舞台として、恋する四人の若い男女をはじめとする登場人物のアンサンブルのなかにドラマを繰り広げるオペラと言えよう。川瀬賢太郎の指揮、岩田達宗の演出による今回のプロダクションは、作品を最大限に尊重するアプローチを示していたと言える。

 岩田の演出は、簡素な装置を用いながら台本の設定を生かすことによって、当時の社会のなかで女性の置かれた位置や、その社会の他者に対する人々の眼差しに含まれるものが、現代社会でも問われていることを伝えていた。川瀬の指揮は、躍動感に満ちた運びのなかでモーツァルトが書いた音を、時に情景を開くのに、また時に歌に込められた感情を掘り下げるのに見事に生かしていた。歌手たちが、緊密なアンサンブルを繰り広げていたのも特筆に値しよう。

 このように、今回の《コジ・ファン・トゥッテ》の公演は、作品に正面から取り組むことによって、作品自体の美質を引き出すことに成功したと言える。そのことは、広島でのオペラ上演における大きな達成と考えられる。上演は4時間近くに及んだが、長かったという感想は聞かれなかった。感想交換会においては、作品の特質や今回の演出における人物の造形、今回の上演の他と比較しての特徴などをめぐって活発に意見交換が行なわれた。

 できれば、より多くの観衆と《コジ・ファン・トゥッテ》という作品そのものの魅力を共有したかったところである。そのために総合芸術としてのオペラの認知度を高め、その広島での上演をさまざまな視角から支えることは、芸術学会会員を含むこの地で芸術に携わる者の課題であろう。

 

 

● 今後の例会について

第121回  日程:12月16日(土) 

第122回  日程: 3月21日(水・祝)  場所と時間(詳細は次号以降の会報でご案内します)

 

研究発表募集

本学会は、随時、研究発表を募集しています。研究発表申し込み手順については、下記をご参照ください。 その他詳細は事務局までお問い合わせください。

(1)研究発表主題、600字程度の発表要旨に、氏名、連絡先、所属ないし研究歴等を明記の上、 事務局宛てに、郵送またはE-mailにて、お申し込みください。

(2)委員会で研究発表の主題および要旨を審査の上、発表を依頼します。

 

 

 

─事務局から─

◆ 会費の納入

前号で依頼した平成29年度会費の納入(10月末日締切り)がお済みでない方は、11月末日までに納入を完了してください。なお、会費を三年間滞納された方につきましては、本年12月に除籍の手続きを取らせていただく予定です。

会報144号(2017年9月2日発行)に同封の「払込取扱票」を紛失された方は、事務局にご連絡ください(e-mail : hirogei@hiroshima-u.ac.jp)。

◆ 封筒の変更

当学会で会報等の発送に使用する封筒の色や紙質を変更しました。

(事務局長・大島徹也)

◆ 新入会者のお知らせ(敬称略)

宮谷 彰(みやたに・あきら/現代美術)

外山 悠(とやま・はるか/斎藤百合子による「日常性の美学」)

張 嗣聖(ZHANG SI SHENG/美術史、西洋近現代美術、パフォーマンスアート、装置芸術)

成 柯瑶(CHENG KEYAO/西洋近現代美術)

王 ??(おう・そうげつ/東洋美術、西洋近現代美術史、日本現代アート)

 

 

─会報部会から─

・チラシ同封について

会報の送付に際して、会員の方々が開催される展覧会・演奏会などのチラシを同封することが可能です(同封作業の手数料として、1回1,000円をお願いいたします)。ただし、会報の発行時期が限られるため、同封ご希望の場合は、あらかじめ下記までお問い合わせください。次号の会報は2月下旬の発行を予定しています。

(馬場有里子090-8602-6888、baba@eum.ac.jp)

 

● 第112回例会終了後の懇親会(要 事前申し込み)について

例会終了後、以下の要領で忘年会を兼ねた懇親会を開催いたします。ご参加をお待ちしております。

時間:18:00~20:00

会場:中華酒場ごんちゃん(広島市中区国泰寺町1-5-33)

会費:3,500円(コース料理+飲み放題)

★ 参加を希望される方は、必ず12月8日(金)までに、「広島芸術学会例会懇親会参加希望」という件名で、電子メールにて参加をお申し込みください。 忘年会シーズンの時期柄、9日以降の申し込みは受け付けかねます。ご理解のほどよろしくお願いいたします。

★ 参加申し込みメール送信先(例会担当委員:柿木伸之):kakigi@intl.hiroshima-cu.ac.jp 
(※ お問い合わせもこちらのアドレスへお願いいたします。)

 

 

― 次回第121回例会のご案内 ―

下記のとおり第121回例会を開催いたします。どうぞ多数お集まりください。

※ 例会終了後、忘年会を兼ねた懇親会を開催いたします(要事前申込み)

 日時:2017年12月16日(土)15:00~17:00
会場:広島市立大学サテライトキャンパス (広島市中区大手町4-1-1、大手町平和ビル9階)

※ 広島市役所の向かい側です。

<研究発表要旨>

①ミシェル・ルグランにおける「鳥の鳴き声」の一考察

倉田麻里絵(関西学院大学大学院文学研究科 大学院研究員)

作曲家ミシェル・ルグラン(Michel Legrand, 1932- )の映画音楽に関する研究は、楽曲分析や同時代の作曲家との比較研究から言及されることが多い。本発表では、まずルグランが劇場用の映画監督を務めた唯一の作品『6月の5日間(Cinq Jours en Juin)』(1989年)を採り上げ、彼が映画の中で「鳥の鳴き声」を音楽的な要素として作品の設計に組み込んでいることを確認する。『6月の5日間』はルグランの脚本による自伝的な物語が描かれている点でも希有な作品である。また、興味深いことに作曲家である彼が映画・音楽監督を務めているにも関わらず、彼の「オリジナル音楽」は2曲に限定され、背景音の「鳥の鳴き声」が強調されている。これはルグランが本作の「鳥の鳴き声」を作品の主題を象徴化した音として示し、また視覚化した彼の心象風景である映像と、彼が作曲家として創作した音楽・音の世界を繋ぐ機能を与えたと考えられる(倉田麻里絵「ミシェル・ルグラン監督映画作品『6月の5日間』における音楽・音の一考察」『人文論究』第67巻第1号、関西学院大学人文学会、2017年5月)。

 ルグランは、彼が音楽を担当したジャン=ポール・ラプノー(Jean-Paul Rappeneau, 1932- )監督作品『城の生活(La Vie de Chateau)』(1965)において、音楽的な要素として「鳥の鳴き声」を楽曲内に取り入れた。ここでは登場人物が鳥笛を鳴らす、または鳴き真似をする音と非物語世界から流れる音楽が組み合わせられている。さらに、ルグランが「鳥の鳴き声」を音楽的な要素として意識していることは、彼の絵本Michel’s Mixed-Up Musical Bird(1978)からも見てとれる。ここでは「鳥の鳴き声」に着想を得て主人公が作曲をする場面が描かれているのである。これらの分析から、ルグランが映画表現の一環として「鳥の鳴き声」にどのような機能を担わせたかを明らかにし、彼の映画音楽の一側面を提示する。

 

 

② 戦争と「写真館文化*」:西日本地域の事例を中心とした考察

李 京彦(大阪芸術大学大学院 嘱託助手)

これまで「戦争記録写真」「戦争関連宣伝用写真」「戦争報道写真」などは、多様な分野の研究資料として使われてきた。しかし、戦争という非日常の状況で制作された、徴兵された兵士やその家族などの肖像写真・集合写真・記念写真などは、研究題材として注目されてこなかった。

日本の写真史に営業写真館や写真師が登場するのは1920年代頃までである。1930年代から営業写真館・写真師は日本の写真史から完全に排除された。それは、日本に全体主義的傾向が強まっていった時期とほぼ一致する。写真だけでなく、社会全般において、統制や検閲が厳しくなっていったその時期、営業写真館業界は、写真伝来以後初めての衰退期を迎えることとなった。しかし、その社会的背景を基に、軍や戦争関係の写真(兵士やその家族の写真などを含め)が営業写真館の新たな営業分野となり、それを中心に営業を行う写真館が登場し、新しい「写真館文化」を成した。

「写真館文化」は各時代・地域における多様な文化を反映する。異なる特徴を持つ地域の「写真館文化」を比較・考察することにより、軍・戦争が創り出す文化の普遍性や、地域社会によって異なる文化の特性について把握することができると思う。本研究は、軍・戦争という社会的環境での「写真館文化」について、そしてそれに関連する「写真行為」を中心に考察を行う。

* 写真館文化:営業写真館の制作、営業、役割にかかわる要素(写真行為という「儀式」やそのパターン、「儀式」に使われる道具、営業方式、顧客の立場からの「儀式」の価値、写真館が行う活動と地域社会や顧客との関係など)によって創り出された事象。