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                                            広島芸術学会会報 第92号

 

 

口元の美しさ
小原 啓子

 歯科医療の分野では、美しい笑顔で見える歯の並びをスマイルライン(あるいは、smile arc)という。少し顎を引き笑顔を作ると歯が見える。上の歯の先端が連なるラインと下唇のラインが一致している状態を示し、両ラインの一致が最も魅力的であるとしてその考えが応用されている。
 この歯の見え方については、男性よりは女性のほうが、また高齢者よりは若者のほうが多く見える という報告がされている(1978: Vig & Brundo)。これは、女性が無意識に笑顔の魅力の引き出し方をわかっているからという説もあるが、年齢を重ねると見えなくなるのは単に体の衰えしかない。人は年齢を積み重ねると、皺が増え、皮膚がたるみ、重力によって皮膚が下がる。笑顔は口の周りの筋肉(口輪筋、頬筋など)によって作られるため、衰えにより上の唇は長くなり、下の唇も同様に下にさがる。
 しかし、高齢者はその生き方そのものが、皺の入る方向や深さに現れ、その人の魅力となっている場合が多い。歯がない場合、口のまわりの皺は一機に深く入るので、機能だけでなく審美的にも歯の重要性を意識することになる。
顔の若さを保ちたいと考えた場合、歯を大切することは必須である。厚生労働省と日本 歯科医師会では8020運動というキャンペーンを展開している。80歳で20本の歯を残そうというスローガンは、1989年愛知県で初めて謳われた時には達成率は80歳人口に対して4%にしか過ぎなかった。現在は21%である。それでは、どうすれば目標達成できるかをあげておこう。
① 歯科医院へは定期健診で1年に2回程度来院し、予防の処置を受けること
② 毎日のブラッシングは、できれば音波ブラシを使うこと。この第3世代歯ブラシと呼ばれるこの機械は、実際に当たっているところからさらに3ミリ先までをきれいにすることで、歯磨きの考え方を一新した。
 さて、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「モナリザ」。わずかに微笑んだ肖像であるモナリザの歯は見えない。世界3大美女といわれる小野小町、楊貴妃、クレオパラも同様であろう。平均寿命が短かった時代の歯は、生きている間の機能を維持できていた。したがって、その人の顔の美しさを象徴するものではなかったのであろう。しかし、80年生きる現代社会では、歯の存在価値は確かに高い。豊かな人生を育むために・・・。

(おばら けいこ・歯科衛生士 DMS Hiroshima代表)



第78回例会報告

アクションペインティングの変容とその政治経済的条件について
発表:神戸大学博士課程 平田 思

 第二次世界大戦後のアメリカ美術界において登場した抽象表現主義に関する研究では、これに関わったアーティストや作品とその政治的・社会的文脈との関わりが見直されるようになる1970年代まで、専ら「個人の自由を主張しながら」描かれた「情動的な抽象画」である絵画の形態について言及されることがほとんどであった。本発表において氏は、1970年代以降から現れた抽象表現主義への社会的・政治的観点からのアプローチをふまえ、特にアメリカの抽象表現主義期に顕著な活動をした批評家ハロルド・ローゼンバーグが打ち立てたアクションペインティングという概念についての考察を行った。
 アクションペインティングは、1950年代から60年代にかけて、ジャクソン・ポロックやウィレム・デ・クーニングの制作行為と結びつけられて世に知られるようになった。しかし、当初のアクションペインティングの概念には「画家を構想する社会革命」を提唱する意味合いが含まれていた。したがって、今日のように現代美術におけるアヴァンギャルド概念としての地位を確立する以前、アクションペインティングは政治におけるアヴァンギャルド概念として解釈することが出来た。氏はこのような概念の変容が起こった背景と、その結果として概念自体のラディカルさが軽減したという二点の見解を、オートンと川田都樹子らの議論を参照しながら、ローゼンバーグの残したアクションペインティングの構想を通史的に分析した。またその際、具体的な作品例としてはデ・クーニングやポロックの絵画作品を提示した。
 まず、ローゼンバーグがアクションペインティングの概念を打ち立てた動機として、共産主義への失望によって社会的に疎外されていた同時代のアメリカの知識人やアーティストたちの救済が挙げられる。今日の一般的なアクションペインティング解釈が論拠とする1952年の論文「アメリカのアクションペインティングの画家たち」で、未だ共産思想を捨てきれずトロツキスムに希望を託していたローゼンバーグは、革命の主体をプロレタリアートから画家に置き換え、当時アメリカの美術界で台頭してきた制作プロセスを強調するアヴァンギャルドにおいて、アクションペインティングという概念を打ち立てた。氏は、こうした概念をやはり政治的文脈において読み解くことで、描くという行為性に「日々の画家の行為は革命のための出来事を引き起こす行為」であり「過去のあらゆる価値を否定する」という革命的な文脈を読み取っている。こうした解釈からは、個人の自由を保障する新しいコスモポリスとしてのアメリカの創 というユートピア思想を読み取ることが出来る。
 しかし、この革命的な概念は実際的な有効性を持ちえず変容を迫られた。氏は、その政治的背景として、アメリカ型アートの売り込みによる文化におけるヨーロッパからのヘゲモニーの獲得を挙げている。こうした政治的動向から、ヨーロッパのモダニズムの影響が大きい作品は当時のアメリカの美術市場から締め出され、独自のスタイルを獲得したアーティストだけが生き残ることになった。1950年頃からアメリカ美術界に台頭した「製作過程を重視するアヴァンギャルド」もそのひとつである。このアヴァンギャルドイデオロギーの動向の中で、アーティストたちは革新的な制作に没頭するとともに必然的にアメリカの帝国主義的な動向とシンクロするという逆説的な立場に立たされることとなった。更に氏は、その理由として抽象表現主義者とWPAとの関係、抽象画の購買層である中産階級の台頭、新進アーティストが抱いた一攫千金の夢の三点を挙げて説明している。
 こうした社会的な動向から、ローゼンバーグは1969年の著作『美術作品とパッケージ』において以前のアクションペインティングの概念に修正を加えている。彼自身が上述したアメリカ資本主義に同化することによって共産主義的思想を取り下げ、具体的な作家を明示してアクションペインティングと他のアートとの関連を語ることで、アクションペインティングは単に美術の領域における表現形式の問題として扱われることが可能になった。加えて、イデオロギーとしてのシュルレアリスムとの違いが明らかにされることで、アクションペインティングが持つ特色としての個人の自由が主張された。氏はさらにこのことについてデ・クーニングの《女Ⅰ》とポロックの《ナンバー30:秋のリズム》といった具体的な作品を比較し、冷戦構 下のアメリカにおける個人主義の一端としてのアクションペインティングの特異性にまで考えを巡らせている。
 今後、氏は同じ抽象表現主義として括られることの多いヨーロッパにおけるアンフォルメルについても研究を進め、やはり局地的な条件下で発生した動向としてアクションペインティングとの相互の関連を明らかにしたいとのことであった。こうした政治・社会的観点からの研究はその時代のアーティストや芸術活動の置かれた状況を明らかにすることであり、非常に興味深い。

(報告:広島大学 田村 桂子)



日本画基底材としての和紙

-日本・中国・アジア諸国における製紙法の比較を通して-
発表:日本画家 長瀬 香織

 広島市立大学にて博士号を取得された長瀬氏は、日本画家として活躍しつつ、和紙についての研究も同時に行っている。今回、氏は、作家としての立場から製紙に関心を持ち、日本・中国・アジア諸国における製紙法の現地調査を行い、これをふまえ和紙の理想的な使用方法を模索し検討した。
 まず始めに、和紙の原料、製紙法ついて述べられた後、氏が現地調査を行った3ヶ国6ヶ所の製紙所での製紙工程をスライドと映像を使い、各国の製紙法の違いを示した。日本の和紙については、まず表装用紙である宇陀紙と美栖紙を取り上げ、そして、中国の富陽宣紙と竹紙、桑紙、ラオスのsa paperについて比較検討し、次のような見解を示した。中国の紙は繊維の短い原料を使用し薄く柔らかな滲みの美しさを目的とした紙である。ラオスの紙は、原始的で原料の繊維の残る素朴な紙である。これに対して、日本の紙は、たとえば、日本画などに使用される雲肌麻紙や表装に使われた宇陀紙と美栖紙等、用途・産地によって様々な特徴がある。
 さらに、氏は、製紙工程、制作過程、保存方法より生じる紙の劣化と保存の問題を取り上げ、作家としての観点からその要因を探り、認識することで、問題点と対処法を提示した。特に礬水や、ベニヤパネルのアクが紙に及ぼす影響は興味深いものであった。
 最後に、氏は、今後の制作において、それぞれの紙の特性を把握するため、日本国内・中国・韓国・ラオスと今までの現地調査・収集してきた紙の性質・滲み・特徴を比較する実験を行った。これらの実験を通して、紙の原料や製紙法によってまったく異なる滲み、発色がみられ、写真や文献では分かり得なかった手漉き紙の幅広さを感じることができたと氏は述べている。そして、このような比較から得た結果を基にし、中国の夾宣、韓国の楮紙とラオスのsa paperを使用し、作品制作を行うことで、日本画の多様化する表現に即した紙を追求し、手漉き紙の新たな可能性を示した。
 今回の発表において長瀬氏は、作家の立場から、さまざまな紙を比較研究し、紙の性質が制作にもたらす可能性を明確に示された。それのみならず、こうした結果をさらに自らの創作にも生かすことを試みておられる。今後、氏が、研究と創作を共にしながら、如何に日本画の新たな可能性を示していかれるか楽しみである。

(報告:広島大学大学院博士課程後期 陳 貞竹)



寄稿

一 見 如 故(yi jian ru gu)
広島大学 袁 葉

 “名古屋”と聞くと,私にとっては格別な響きを持っています。というのは、かつて抱いていた日本へのマイナスイメージを,180度変えてくれたからです」
3月3日に名古屋で行われた「あいち平和映画祭2007」での講演で、私はそう切り出した。
 1971年に名古屋で「第31回世界卓球選手権大会」が開かれ、その記録映画『白黒』を私は中国の片田舎で観た。時代は「文化大革命」(66~76年)のさなか、文化部(「部」は日本の省に当たる)に勤める両親は、「知識人は農村へ行って農民による再教育を受けなければならない」という毛沢東の命令に従って、同僚たちほぼ全員と共に北京を離れた。重労働による思想改 のためである。行き先は北京から南へ千キロも離れた長江流域にある湖北省で、小学生の私もついて行った。そこでの唯一の楽しみは、時折開かれる星空の下での映画鑑賞だった。
 映画のファーストシーンは、上空から鳥瞰する名古屋の街。マッチ箱のようなものが一面に広がっているのは、どうやらビルのようだ。当時の北京の建物はほとんど平屋だったので、ずっと進んでいる感じがした。やがて大きな建物の屋根のクローズアップ。会場の体育館だとナレーションで分かった。そして、私の目線はカメラと一緒に降りていく。
 次のシーン。レンズが体育館の前に列を作っている人々とすれ違っていっても、軍服姿は見当たらなかった。まして、銃や軍刀を持っている人なんて…。それまで「日本人」というと、劇 画に登場する日本兵のイメージしかなくて、恐怖と嫌悪感の対象だった。だが,目の前のこの人たちは悪い人には見えない…。
 その夜はなかなか寝つかれなかった。あの体育館の前に並んでいる人々の姿が再び目の前に浮かんできた。初めて目にしたホンモノの日本人だ。ああ,隣国にはこのような人たちが住んでいるのか、と思うと、ホッとしたような不思議な気持ちになった。
 その大会が、日中国交正常化のきっかけ「ピンポン外交」の舞台だったとは後になって知った。
 「まさか36年後に、この名古屋の地で講演をさせていただくなんて、本当に夢にも思いませんでした。もしかすると、今この会場に、あの時列に並んでいた方がいらっしゃるかも知れません」と言い終わるやいなや、さっと手を挙げた方があり、会場に静かなさざ波が広がっていった。時空を超えた感動に一瞬言葉を失った私が「皆さん、お招きいただきまして、本当に心から感謝いたします」と言ってお辞儀をすると、会場を埋めた五、六百人の聴衆から一斉に拍手が湧き起こった。
 「一見如故」(一見旧知の如し)のような温もりに包まれ、最後までお話をさせていただいた。
 翌日、あの卓球大会の会場となった「愛知県立体育館」まで足を運ぶ途中、「袁葉さん、この角を曲がると、もう見えますよ」と主催者の一人から告げられて、私は胸に手を当てて立ち止まった。
「ち、ちょっと待ってください。まだ、心の準備ができてないんです…」
「ははは、まるで初恋の人と再会するみたいですね」
「体育館の方も、びっくりするかも」
弥生の空に和やかな笑い声がはじけた。



インフォメーション

■八千代の丘美術館「広島の作家 15名の展覧会」

 広島県内を拠点に活躍中の15名の作家がそれぞれの棟で1年間作品展を開くという形がとられている「八千代の丘美術館」(安芸高田市八千代町)。この4月から第6期展が始まり、当学会の作家3名の方が展示中です。ドライブがてらどうぞ、お出かけ下さい。

H棟:石下早苗(染色工芸)
L棟:村中保彦(金属造形)
O棟:酒井一彦(日本画)


■「未来美術館へ行こう! 柴川敏之展」記録集プレゼント情報

 2005年夏に奈義町現代美術館で開催された「未来美術館へ行こう! 柴川敏之展」を完全収録した記録集で、展覧会のようすなどが凝縮されています。応募方法は名前、所属(仕事など)、送付先、簡単な応募理由・、活用方法などを記入の上、メールで応募してください。メールの宛先欄に「記録集プレゼント係」とご記入ください。当選者には後日柴川氏からメールが届きます。

宛先&お問い合わせ先:柴川敏之(美術作家/福山市立女子短期大学准教授)
福山市立女子短期大学 美術デザインコース
〒720-0074 福山市北本庄4-5-2 TEL084-925-2511
Eメール:shibaka@m13.alpha-net.ne.jp
http://www.gaden.jp/arts/shibakawa.html

 

                             

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